Hara Kazutoshi presents 着信アリーmy Love

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Hara Kazutoshiのクラブレポート最前線 第6回「踊ってばかりではいけない国、ニッポン」

クラブには様々な人間が集まる。以前クラブで、リュックを背負い、ジャージに銀色のハイテクスニーカーという姿で、一心不乱に踊り続ける中年の男を見た。その男は、朝方にスーツに着替え帰って行ったが、普段はどのような暮らしをしているのであろうか。


某省庁の外郭団体に勤める橋田健一は、その日、理事室で課長昇進の通知を受け取った。42歳での課長昇進は、この会社では早いほうである。橋田は、黙々と仕事をこなす姿勢と、その物腰の柔らかさから、周りの同僚からも慕われており、今回の昇進に伴う人事異動を惜しむ声も多かった。
その夜、橋田は久しぶりに行き着けのバーに寄った。カウンターで一人で飲んでいると、橋田じゃないか、と後ろから男が声をかけてきた。振り返ると、大学時代の同級生の鈴木が立っていた。鈴木は、橋田が大学時代にクラブ通いをしていた時の仲間の一人である。当時の橋田のクラブ狂いは相当なもので、週末になると鈴木たちを連れ立って、一夜に3軒のクラブをはしごしたこともあった。
橋田は、久しぶりだな、と言って、鈴木を隣に座らせ、お互いの近況を話し合った。鈴木は、現在レコード屋でバイトをしながら、DJをやっているという。
「じゃあ、今もDJをやっているのか」
「ああ、DJだけじゃ食っていけないけどな。お前は最近クラブに行ったりするのか?」
「いや、全然」
就職して1、2年目は、海外から大物DJが来るとたまに行く程度だったが、結婚し子供も生まれ、仕事の責任も増してくると、自ずとクラブから足は遠のいた。もう、踊ってばかりではいけないのである。
「そうか、昔は相当通っていたのにな。そういえば、最近こんなレコードがあって……」
と鈴木は、最近流行している音楽の話を始めた。鈴木は、レコードを「○○の○番」とレーベルと品番で呼び、嬉々としてお勧めのレコードを列挙していった。橋田は、そんな鈴木に対して、子供が電車の時刻表を暗唱して悦に浸る様な、暗記癖に似た幼稚さを感じてしまった。とはいえ、自分もかつては、鈴木とそのように音楽について話をしていたのだが。


新しい部署に異動してからは散々であった。
橋田の部下は、若い男女8名である。しばらくは彼らも真面目に仕事をしていた。しかし、橋田が部下に対して厳しい態度をとれない男だと察すると、仕事中の私語や離席が増え、仕事をしなくなってしまった。前の部署では優しいと評判だった橋田の性格も、管理職になると甘い男と判断されてしまったのである。橋田は、完全に部下になめられていた。
橋田の部下達の勤怠の悪さは、すでに社内でも噂になっており、橋田の管理能力を批判する向きもあった。橋田は、自分の管理職としての評価も地に落ちたと悟った。
ある日、鈴木からメールが来た。明日、渋谷のクラブでDJをするので、もし来るならディスカウントにするとの内容である。共演者を見ると、橋田も知っている海外のDJの名前もあった。
翌日、橋田は仕事を切り上げると、渋谷に向かった。クラブのエントランスでドリンクチケットを受け取ると、ロッカーに向かい、リュックに入れていたジャージとハイテクスニーカーに着替えた。そして大音量と光があふれるフロアの人ごみに溶け込み、橋田は朝まで無心に踊りの中に溺れていった。
(GHOSTWORLD VOL.6)